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大前研一       2007.3.19 「プレジデント」

「大前研一実践!本質をあぶり出す〈ただ一つの問い〉より

なぜ、情報能力がかくも低下したのか



 かつて、アメリカ人からある種の畏敬の念を持って
「スポンジのように吸収する」と言われた
日本人の情報吸収力はいまや恐ろしく減退した。
 これがもう一度反転する可能性があるかといえば、悲観せざるをえない。
なぜなら、今ちょうど中間管理職層にいる人たちは、
受験戦争のピークに育った偏差値世代だからだ。

 彼らは学校で答えを教わる教育ばかりを受けてきたから、
手探りで失敗を繰り返しながら答えを
導き出す習慣がほとんどない。
答えのない世界に生きたことがない世代は、
とにかく教えられた答えを覚えて吸収しょうとする。
 だから新聞に書いてある情報やテレビが流す情報を、
すべて正しいものと思い込んで覚えようとするのだ。

イトマキエイのように情報をガバガバと呑み込んだところで、

一昨日の夕食に何を食べたか思い出せないように、
情報は体外にそのままストンと流れ出てしまって終わりとなる。
情報が本当に自分の血となり肉となるためには、
その情報を自分で加工しなければならない。
 情報というのは、加工しないことには何の価値も生まないのだ。
手に入れた一次情報の意味を考え、時に疑い、
ストックした情報と照らし合わせて、
栄養のある情報だけを吸収して自分の中に取り込み、
あとは拾てる……というプロセスが必要なのだ。

 今の社会の中核を担っている世代は、
水をブクブクに含んだスポンジみたいなもので、
溢れるような情報に侵されながらも、
自分の中に新しいものを吸収するという
渇き″がないのである。
では、情報を自分の中に加工して取り込むためにはどうすればよいか。
加工のプロセスを有効に働かせるためには、
まず自分の頭の中に″棚″をつくらなければならない。
要するに情報を整理して置いておく棚のようなものだ。
新しい情報が入ってきたときには、棚に置いておいた情報を引っ張り出してきて、
合成し、そして最後に必ずこう自問自答する。
「要するに、これってどういうことなんだ……」。

 こうしてはじめて自分なりに加工した情報=新しい考えが出てくる。
「要するにこういうことなんだ」と考えたことが、個別の知識としてではなく、
文章として頭の中の棚に入っていくので、忘れることなどないのだ。

 これらは、いわば私の情報術ともいえるものだが、
実は私自身は自分を情報の達人とは思っていない。
だが商売柄、世界中のことを国内外の誰と会っても話ができるぐらいに
膨大な情報に日々触れている。
その情報を自分の血や肉にするコツは何かといえば、
この棚であり、引き出しなのだ。
今の私の頭の中には、50〜60ほどの棚がある。