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 同志社大学大学院教授
  浜 矩子             PHPビジネス新書  2011年6月8日初版発行

「通貨」を知れば 世界が読める
 取り上げた文節

1. アジア通貨危機の犯人は日本だった!?
2. IMFという遅れてきた番人の登場
3. リーマン・ショックもまた、円によってもたらされた
4. なぜ、日本人は円に自信を持とうとしないのか?
5. 震災で判明した、円の本当の実力
6. 「有事のドル買い」はもはや過去のもの
7. 高い円が地方を活性化させる!?
8. 円ドル相場に一喜一憂しない日の到来
9. 世界で初めての、まったく新しい可能性への挑戦

最近、テレビで見かける"浜 矩子"さんの本を書店で手に取ったのは、
こんな疑問の答えに通ずる何かが読み取れるような感じがしたからだ。
1..震災後の日本経済、エネルギー不足、サプライチェーンなどのダメージを受けた日本の"円"がどうして、円安になら
ないのだろうか。

2..なぜ、TPPへの参加に拍車がかかるのか。
3..財政破綻へ突き進んでいるこの国、空洞化危機にある日本なのに、  円安にならないのだろうか。
 
このままじゃ"日本沈没"とか、TPPに参加すると"農業がなくなる"などで大騒ぎの傾向があり心配している。
 ある一面から"ものを見る"ことの視野の狭さに気づかされる。
 日本で"マネジメント"が不毛状態なのもこういう面が大きく影響しているなと感じさせてくれる。
ものごとは、いろいろな切り口(ISOで言うところの側面)で対象を検証しなければ、
21世紀は乗り切れないと感じるのは間違っていない気がする。
  "黒船が来たーどうしよう!?"じゃなく、"黒船になって乗り出そうじゃないか"と思える。 坂本竜馬じゃないけれども

  今の債権大国である日本の"債権"は昔の金本位体制での"金"に当たると考えれば、
   "そんなにバタバタすることじゃ無い"とさえ思えてくる。

日本の海外拠点を持つ大企業は、相当な率の"円決済"を組み込んでいると聞く。
 空洞化、結構じゃないか。これからの世代が埋めるのを支えればいいのだ。
それでいいのだ。

アジア通貨危機の犯人は日本だった!?

 さて、ここまでくれば、アジア通貨危機の真犯人探しに挑むにあたって、

なぜ日本に目を転じたかをおわかりいただけるだろう。

真犯人は日本であり、円なのである。

 アジアの成長の奇跡を後押しし、そのバブル化を煽り、急冷却をもたらし、諸通貨を暴落に到らしむる。

一連の展開の原動力は、常にジャパン・マネーであった。

 ここにも、円の「隠れ基軸通貨」的な側面が顔を出している。

影響力は大きい。

だが、表の顔は、ドルの行方やヘッジファンドの「暗躍」に翻弄される弱体通貨風である。

頼りなさそうな世を忍ぶ仮の姿の背後に、地球経済を震撼させる債権大国の底力が潜んでいる。

 本当に頼りないのは、その底力に対する自覚不足と管理能力不足であるかもしれない。

大きいものは動くと影響も大きい。自らの大きさに関するしっかりした自覚が必要だ。

そこが欠けていると、妙な脈絡の中で、自らを大事件の真犯人に仕立て上げてしまうことにもなる。

 表基軸通貨国の場合には、衆人環視の中で、自他ともにその役割を

認識した状態で動くから、おのずと行動に制約がかかる。

その制約をはねのけて勝手放題をしたいのであれば、それにはそれなりの工夫と開き直りが必要だ。

いずれにせよ、結構な覚悟を要するのが表基軸通貨の宿命である。

 これに対して、隠れ基軸通貨には、いわば説明責任がない。

それだけ気は楽だが、それだけに自覚が足りなければ、騒動を引き起こしやすい。

史上初の隠れ基軸通貨国として、日本はどれだけの賢さを発揮できるか。

こうしてみれば、これからの通貨秩序のあり方は、

存外に日本の金融・通貨政策の力量に依存する面が大きいかもしれない。


IMFという遅れてきた番人の登場

 ここで、アジア通貨危機のその後の顛末についても、簡単に見ておこう。

 危機の収拾にある時点からIMFが乗り出したことは周知のとおりだ。当然の出動でもあった。

 当然の出動ではあったが、この時のIMFのやり方は、決して当然の対応とは言えなかった。

通貨危機の当事国たちに対して、何はともあれ、一段の金融引き締めを求めたのである。
これは、すでにバブル崩壊の打撃に苦しんでいる国々にデフレの追い打ちをかけるようなものであった。

 なぜ、このようなことになってしまったのか。それはIMF自体の体質の問題であった。

 前述のとおり、IMFは1944年のブレトンウッズ協定によって生まれた。

名実ともに「パックス・アメリカーナ」の通貨的側面の担い手として誕生したのである。

現に、IMFの本来的な役割は国際収支難に陥った諸国への短期的な金融支援である。

端的に言えば、ドル不足に陥った諸国へのつなぎ融資である。

 そこには、あくまでも世界がドルを必要とし、ドルが世界を回すという前提がある。

アメリカ以外の国々に対して、ドル不足をきたさないよう厳しく対外収支を管理するよう要求し、

それができなくなった時にはしぶしぶ乗り出してドル資金を融資する。

これがIMFの基本的本務なのである。

 だが、今や世の中は変わった。もはや、ドル不足の時代ではない。

それなのに、どうしてもIMFの行動はドルの希少性が前提となる。

ここに、IMFという存在そのものと、今日的な時代状況とのミスマッチがある。

 基軸通貨なき21世紀の通貨問題に、20世紀的基軸通貨の番人として設計されたIMFが

的確・適切に対処できないのは無理もない。

その意味で、IMFは遅れてきた通貨の番人にすぎない。


リーマン・ショックもまた、円によってもたらされた

 アジア通貨危機はもちろん、日本にもダメージを与えることになった。

なかなか浮上のきっかけをつかめない日本は、90年代終わりごろからずっと、

10年にも及ぶ長期間にわたってゼロ金利政策をとり続けた。

さらには量的緩和も行った。

 まさに、アジア通貨危機以前と同じ状況が繰り返されたわけである。

そうなれば世界のマネーもまったく同じ動きをすることになる。

金利の低い円を借り、ドルを買い、より高いリターンに向けて投資する。

再びの円キャリートレードである。

 また、日本が超低金利を続けていたため、他国も金利を抑えざるをえなかった。

日本発のカネ余りが世界に波及していったのである。

 しかし、世界各地で金利が低い状態となっていれば、

投資によって資金を増やすのもまた、難しくなる。

特に、常に高いリターンが求められる投資銀行にとっては、

資金はあっても投資先がないという困った状態に陥ってしまう。

 そのことが、証券化という危険な錬金術に彼らを踏み出させてしまった。

そう考えることができるだろう。

その意味では、リーマン・ショックの原因もまた、日本のカネ余りにあると言える。

 つまりリーマン・ショックの基本要因もまた、日本にあったということである。


なぜ、日本人は円に自信を持とうとしないのか?

 こう見ていくと、円という通貨がいかに世界を動かしてきたかがわかる。

しかしそれについて無自覚なわけであるから、円はなかなかハタ迷惑な通貨でもある。

どうも日本は、妙なところで遠慮がちでいけない。

遠慮は美徳だが、へたをすれば責任回避につながる。

 もはや、「追いつけ追い越せ」の時代ではない。

「大人になりたくない症候群」はそろそろ卒業しないといけない。

今回の震災で地球的なサプライチェーンがどれだけ大きな影響を受けたか。

それを考えても、グローバルな次元での日本の社会的責任は大きい。

円が動けば世界が揺れる。

日本のモノ作りが揺らげば、世界が倒れる。

成熟債権国は、自らの行動や自らに降りかかる命運の波及効果を常に意識しておかなければいけない。

 大統領就任時のオバマ氏は、「子供じみた振る舞いとの決別の時」が来たと言った。

身勝手な一国主義からの卒業宣言であった。

その後の実績はいま一つだが、当初の心意気はまったく正しかったと思う。

 日本も同じだ。

明らかに、子供じみた振る舞いとの決別の時が来ている。

大人の国の大人の通貨を大人らしく管理する覚悟が求められている。


震災で判明した、円の本当の実力

 1ドル50円を想定させる日本側の要因に移ろう。

2011年4月現在、東日本大震災の影響により、東北、北関東を中心に企業の生産活動全体が停滞している。

原発事故にともなう停電と節電により、工場の操業にブレーキがかかっている。

しばらくはこの状況が続くことになりそうだ。

 まさに、経済的大ピンチである。

このような状況下では、大規模な円離れが進んでもまったく不思議ではない。

復興に要する資金の規模を考えても、日本の財政事情がさしあたり大幅に悪化することは目に見えている。

長年の課題だった金利水準の正常化も、今の状況の中では目途が立たない。

事実上のゼロ金利状態が当分の間続くことになりそうだ。

 経済の先行きはどうなるかわからない。

財政事情は悪化が必至だ。そして金利は低いまま。
これだけ悪材料が整えば、超円安に転じても不思議はない。

 ところが、現実はどうか。

東日本大震災が起きてから1ヵ月半が経過した4月末現在、1ドルは80円台前半。

震災が起きた3月11日以前とほとんど変わっていないのである。

先ほど述べたリスクを考えれば、一気に90円とか100円台になってもいいようなものだが、

そうはなっていないのだ。

 ここにも隠れ基軸通貨の秘めたる威力が表れている。

あれこれ言っても、そう簡単に円を手放すわけにはいかない。

そのような構図がグローバルな通貨金融市場においてできあがっているということだ。

円が特段の人気通貨だというわけでもない。

だが、持っておかないわけにはいかない。

気がつけば、円なしでは生きていけない。

そのような円の位置づけが、被災後の円相場の推移の中に滲み出ている。


「有事のドル買い」はもはや過去のもの

 同じような傾向が、震災の前にも見られた。

2010年11月、北朝鮮が韓国の延坪島を突然砲撃するという事件が起こったことをご記憶だろう。

民間人に死者が出て、韓国軍も報復のための砲撃を行うなど、両国間の緊張が一気に高まった。

 こんな緊迫した場面が到来し、しかもそれが朝鮮半島を舞台にしたものだとなれば、

かってなら、一気に「有事のドル買い」と「有事に弱い円」の集中売りが進んだはずである。

現に、北朝鮮による大韓航空機爆破事件などの際には、こうした動きが顕著に見られた。

 ところが、今回はどうであったか。

円の値動きはわずか二円程度にすぎなかった。大量の「有事のドル買い」は進まず、

早々に問題発生前の円ドル関係に立ち戻った。

有事のドル頼みは、もはや神通力を失ったようである。

むしろ、有事に左右されない円高の根強さを印象づける一場面であった。

これらのことを総合してみれば、ドルが円に対して値を下げていくという動きが、

今後変化するとはなんとも考えにくい。

 むしろこれからの注目点は、1ドル50円への展開がどのような形をとるのかということだろう。

急激に来れば来るほど打撃は大きい。

備えがなければないほど、痛手を被る。その日から目を背けるのではなく、

むしろ、その日をいつにするのかを自ら決めるくらいの構えで臨むことが妥当だろう。

 1ドル50円時代の到来は世界のドル離れ時代の到来を意味する。

ドル相場の動きに一喜一憂させられる日々から解放されたいのであれば、

1ドル50円はむしろ目標とすべき相場圏なのである。


高い円が地方を活性化させる!?

 ここで、話を日本と円に戻すことにしよう。

1ドル50円時代との付き合い方を考えてみたい。

 何はともあれ、そこには心機一転のための大いなる可能性が秘められている。

そのような受け止め方が肝要だと思う。

 心機一転のチャンスは以前にもあった。

あのプラザ合意の時がそうだった。

あの時に回避してしまった挑戦に、今度こそ挑む意気込みが求められている。

 あの時の日本経済は、今に比べればまだ若かった。

それでも成熟度が高まってはいた。

だが、それでもおよそ30年前であるから、まだ豊かさの形成において道半ばの面を残していた。

ジャパン・アズ・ナンバーワンなどと言われて喜んでいた時期だし、

少子高齢化が定番用語となっているわけでもなかった。

その意味で、輸出立国に執着し、従来路線で突っ走ることにこだわり続けたことにも

無理からぬ面があったことは事実だ。

 だが、今度こそ、そうはいかない。その余地もない。

超低金利はすでに日常化している。

金融大緩和で円高を回避するという技はもう使えない。

 そこでどうするか。

ポイントは、今日の日本経済が当面している諸問題と1ドル50円という枠組みをどううまく結び付けていくかだ。

 今の日本にとっての大きな課題は何か。

筆頭にあげるべきなのが、地方の活性化問題だろう。

震災後復興とのかかわりでも、ここが一つの焦点になる。

 この点で、円高に何を期待できるか。

円が高いということは、言うまでもなく、日本の対外購買力が高まることを意味している。

海外からモノを買うにしても、知恵を買うにしても、これは有利な要因だ。

 大英帝国時代、パックス・ブリタニカ時代のイギリスは、ポンドの圧倒的な購買力を利用して

世界からモノと英知を引き寄せた。

決して大きくはない島国国家が、その購買力を基盤に世界を制した。

日本の地域経済がそれぞれ小さなイギリスになったつもりで外とのかかわりを強化していけば、

そこに新たな自己展開の余地が生まれるはずだ。

日本の地域を地球市場と結び付ける結節部品として、

購買力の強い円を活用する道筋があるのではないかと思う。

 もっとも、地域の活性化問題には、もう一つの解答が成り立ちうる。

それが、後述する地域通貨の導入という方向性だが、これは次章のテーマだ。

そのようにして、地域と地球が直接的に結び付いていくことになれば、やがて、

地域は国のバラマキ予算にあまり期待しなくてもいいようになるかもしれない。

自己展開の中で独自の豊かさを形成できれば、医療や介護や福祉についても、

地域独自の解答を出すことができるようになるはずだ。


円ドル相場に一喜一憂しない日の到来

 円高を一番恐れているのは、輸出を中軸事業とする製造業者のみなさんだ。

それはよくわかる。

特に1ドル50円が一気に襲ってくれば、その打撃が痛烈なものになることは間違いない。

だが、前述の協調型受け入れスタイルで漸進的に来るなら、話はかなり違ってくる。

 漸進的に1ドル50円に接近していくのであれば、

その間に円とドルを取り巻く環境はかなり変わってくるはずだ。

まずは、日本の貿易取引はそのかなりの部分が円建てになっていくだろう。

1ドル50円になるということは、それだけドルに対する需要が低下するということだ。

日本のみならず、世界で行われる取引が、全体としてドル離れしていく。

だからこそ、ドルの減価が進むということである。

 そして、ドル離れはドル離れを呼ぶ。

使われなくなればなるほど、そこから先、さらに使われなくなっていくスピードも加速する。

 円建て取引の割合が高まれば、日本企業がドル相場の行方を巡って、

一喜一憂しなければならない度合いもそれだけ低下する。

決済にあまり使っていない通貨であれば、その相場水準がどうなっているかを誰もさして気にしない。

気にする理由がなくなっていく。

 基軸通貨がその座を降りるとは、要するにこういうことなのである。

これは、イギリスのポンド相場のことを考えてみればわかりやすい。

 かつてイギリス・ポンドが世界の基軸通貨だった時には、どの国もポンドで取引していたため、

ポンド相場を常に意識していた。

しかし現在では、円ポンド相場を聞かれて、すぐに答えられる人がどれほどいるだろう。

 それでも、引き続きドル建て取引を維持していく国々への輸出は、むろん、厳しくなっていく。

だが、たとえば中国のように今はドルと自国通貨を連動させている国でも、1ドル50円という相場になれば、

おそらくドルとの連動は解除に向かうはずである。


世界で初めての、まったく新しい可能性への挑戦

 ここまで通貨の歴史を振り返ってみて、つくづく思うことがある。

今のような時代環境の中で、日本ほどのスケールの債権大国が超成熟時代を迎えるというのは、

今までなかったことだ。

 そういう意味で、今や、日本の前に前例や先人はいない。

これからの日本経済は、自らが実験台となって新天地を切り開いていくしかない。

 強い通貨と豊富な債権、そして知恵と工夫を用いて、いかに豊かな国を築いていくか。

前人未到の大人の世界を自力で構築していくのである。

これはなかなかワクワク感をともなう状況だ。

 日本が自らを実験台とする実験の主舞台は、やはり地域社会ということになるだろう。

そこから発信されていく新しいメッセージに応える形で、日本の政策も政治も変わる。

それが日本型ジャスミン革命なのではないか。

 震災からの復興というテーマに直面して、時あたかも、地域の声にいかに呼応するかは、

待ったなしの政策課題となっている。

そこをしっかり受け止めて、プラザ合意の時に自らの怯みで見送った大変身を成し遂げる。

そのための舞台装置が整いつつある。

あとはパフォーマンスあるのみだ。

ここは一番、芝居心の発揮しどころである。