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 堀場製作所最高顧問
 著者:堀場 雅夫             ダイヤモンド社 2007年12月6日発行

もっと わがままになれ!
今回もまた、マイブームでもある”中古本”を取り上げたいと思う。
 この本に出会うのには、偶然の出来事ではない。
 1995年ごろ閉塞感に飲まれていたころに手に取った流れの中で読んだ著書で久し振りに読みたくなった本でもあった。
 最近、気に入っている言葉(ワンフレーズ)にfacebookのプロフィールにも記載した、次のものがあります。
  一生懸命に勉強するのは、「将来の自由」を手に入れるため
 勉強して、身に付けられるものは何だろうか。人物としての信頼感や智慧を付けるのも大事ですが、
”気品(きひん)”、”品格”のオーラを身に付けることも大切なことに思えます。
 これらが融合し良い意味での”わがまま”や”さじ加減”といった「自由」が手に入るのではないだろうか、と思ったりする。
物事は複雑化してくるとそこに新しい”性質や力”が生まれてくる。人も例外ではないと思ったりする。
   次のも合わせて読むのも良いでしょう。


 はじめに――

今の時代、「あいつはわがままな人間だ」は最高のほめ言葉

 私の年齢は83歳、京都大学在学中に起業し、
後年、学生ベンチャーの草分けと呼ばれ、
壮年期を堀場製作所の経営に携わり、2005年から最高顧問に就任。
取締役からもはずれ、年齢もすでに日本人男性の平均寿命を超えた私は、
ロスタイムで生きているようなものである。しかし、
今も元気に日々「おもしろおかしく」過ごしている。
この本は、私の揺るぎない「思い」、「今こそ言っておきたい」ことを、
これからの人生をどう生きるか考えなければいけない20代の若い人から、
40代、50代、さらに定年以降の人たちまで、
幅広く読んでもらいたいと思って書きつづった。
 私はかねてから「社員はもっとわがままになれ」と、言ってきた。
 「会社」という枠を自らつくっている人たち、あるいは
「会社は自己実現の場ではない」と思い込んでいる人たちに、
もっと自由発想で仕事を楽しむきっかけとなるものこそ、「わがまま」なのである。
 この人はこういうことをやったのだな、世の中には、
こういう考え方、生き方をする人もいるんだ、自分はこういうことをしたら、
また何かおもしろいことがあるかもしれないと、
広い空間に飛んでいる自分を想像して読んでいただければ幸いである。
 堀場製作所が戦後ゼロから出発して
今日業界の上位グループに入ることができた最大の理由は、経営者・社員を問わず
皆がわがままでありそれを許す土壌があったからだと信じている。
 世間では「君は、わがままな人間だ」と言われて、喜ぶ人はまずいないと思う。
「そんなことはない!」と、すぐに反論が返ってくるだろう。
しかし、今日からは、わがままだ」と言われたら、大いに喜んで、
自信を持っていただきたいのである。
 私の言っていることは暴論だと思うだろうが、いやいや、そうではない。
言葉というものは、時代とともに本来の意味が変わっていくものである。
 わがままを漢字で書くと、我(が)侭、我(が)儘である。侭(儘)という字は、
にんべんに尽くすと書く。
語源を考えれば人に尽くすことである。
意味は、思いとおりにならなければ気が済まないと感じて行動する様子、
その人の思うところが絶対なものとして「許されること」、と書かれている。
 許されるというのは、周りから許されるということだと思う。
本来の語源からいえば、自分のやりたいことをやって、
周りの人からそれが許されるような言動、少なくとも、周りに迷惑にならない、
うまくいけば周りもハッピーになるということを、
わがままと言っていたのではないかと思う。
ころが、いつの時代からか、わがままの意味が、
相手や周囲の事情をかえりみず、利己主義で自分勝手にすること、
人に迷惑をかけても自分の我を通すというような解釈に変わってきたことが、
世の中を悪くしてきたのではないだろうか。
 わがままを私流に解釈すると、そういうことになるのだが、
ぜひとも言葉の専門家である国語学者のご意見を
お伺いしたいところである。
 がままをいったら周りが困る、ということ自体、
本来わがままとは言わないと、私は思っている。
言い換えれば、私は、わがままを言いなさいというときに、
一番単純な条件を一つ出すことにしている。
何をしてもよろしい。ただし、他人に迷惑をかけないこと
これだけである。
 人に迷惑をかけないということは、
自分のわがままに責任を持つということでもある。
 わがままという言葉が、
「許されること」という微妙な意味合いを持っていることを、
学校の先生も親も、子どもに教えてこなかった。
だから、すぐに、「わがままを言ってはいけません」と言う。
その結果、わがままを言わない生活がどれほど無限の可能性を喪失させ、
活力を殺してきただろうか。
  わがままを言うことは良いことである。
  今こそ、わがままに生きるべきだ。
  私は、そう断言したい。

  2007年12月