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 東京大学大学院経済学研究科教授
      著者:高橋伸夫         日経BP社 2004年1月19
日 発行

虚妄の成果主義
(日本型年功制度復活のススメ)

 今回もマイブームでもある”中古本”を取り上げたいと思う。
失われた10年と符丁が合っているのかもしれませんが、自由化の波が押し寄せ、
なんの検証もされないまま時流(世界標準だ、このままだた大変なことに)に乗り、
”ゼロサム”だの”成果主義”だのと翻弄されたあの時、
この本を読むにつけ感じることは、
戦後の日本的年功制が「ドラッガー流マネジメント」の核心と調和出来るものであったことです。
戦後の日本の成長を支えた、その後も支えられる制度を何故棄てようとしたんだろうかである。
 現在、従来の”欧米式”経営は、壁に突き当たり、
複雑系の経営思想が注目をされ始めていると感じています。
 複雑系と東洋思想が調和(コラボ)した時、「ドラッガー流マネジメント」は進化するでしょう。
続編の「<育てる経営>の戦略(講談社選書メチエ)―ポスト成果主義への道」も合せて読むのも良い。

 ある大手企業であった本当のお話

それほど昔のお話ではありません。
日本中がわき立ったバブルも、崩壊してしまうと社会全体がしおれたようになり、
あんなに勢いのあった某社も業績はすっかり落ち込み、
リストラを考えなくてはならなくなりました。
そこで、一計を案じた会社の首脳は、
社内の各部署に点在していたいわゆる「窓際族」を集めて、
新しく第二営業部を作りました。
会社側の思惑としては、できれば指名解雇のようなことはしたくないので、
その第二営業部を丸ごと切り離してリストラしてしまおうと考えたわけです。
ところが、それぞれの部署で窓際族扱いされて意気消沈していた人々は、
同じような境遇の人間ばかりが第二営業部に
集められたために次第に元気を取り戻します。
だんだん活気か出てきて、第二営業部の業範は向上し、
なかなか立派な数字を残すようになってしまいました。
それで人事部は困り果てます。
彼らをリストラすることが難しくなってしまったからです。
 多少・物語風にアレンジしているが、これは作り話ではない。
しかももっと興味深いことに、この話を酒飲み話で企業の人に聞かせると、
みなさんから、「あるある」という反応が返ってくるのである。
もし本当にそうだとすると、この物語から論理的に、ある重要な二つの命題を導き出すことができるすなわち、

 @ 会社が人を辞めさせようとする理由は、その人の業績が悪いからではない。

   なぜなら、もしも業績の悪かったことがリストラ理由だったならば、
   業績が向上してきた第二営業部はもうリストラの対象ではなくなっていたはずだ。
   ところが、それでも第二営業部をリストラしたいという気持ちには
   変わりがなかったのである。つまり、辞めさせたいという理由は業績ではなく、
   もっと他のところにあったことになる。にもかかわらず、人事部が困ったように、

 A 業績の良い人をクビにすることはできない。

 この二つの命題は、使われる側にだけ当てはまるものではない。
実際、敏腕社長が高業績を上げているうちは、
従業員も文句を言いながらもついて行ったが、業績が落ちた途端、造反にあって
社長を解仕されたなどという話は、時々マスコミにも登場する。
つまり、高業績はリスク・ヘッジにはなるが、
それが社内評価の向上には必ずしも直結しない。

 このことが論理的に区別して理解できれば、1990年代後半から日本企業に
怒涛のように押し寄せてきた成果主義の正体が見えてくる。
これは切る側の論理としてはまことに便利で、
成果が低いときにはリストラや賃金カットの留め金が外れる。
しかし、仮に成果が上がったとしても、
リストラこそ逃れられるだろうが、それが評価に直結するなどとは思わない方がいい。
成果と評価は別ものだからである。

 ピンとこない人は。この本をとにかく第1章だけでも読んでみてほしい。
あまりにも凝り固まったあなたの頭を少し柔らかくもみほぐしておかないと、
本当のことが見えてこない。

 この本は成果主義に関する本ではない。
何か新しい別のシステムを売り込もうとしているわけでもない。
私自身はもともと経営組織論が専門の経済学者であり、
人事労務の専門家でもなければ、労働経済学者でもない。
しかし、過去10年以上にわたって、かつては年俸制の導入、
近年は成果主義の導入に対して、一貫して異を唱えてきた。

折に触れ私が書き残してきたものを見れば、
あるいは私の講演を聞いたことのある人であれば、
そのことはよくおわかりいただけるはずである。
私が最も言いたいことは、昨今の人事制度、特に成果主義の導入をめぐって
巷で言われていることには重大な事実誤認があるということなのである。

 日本企業の実態や従業員の意識、
現場の感覚からあまりにも乖離した誤った認識に基づいて、
百害あって一利なしの人事制度が多くの企業に導入され、
機能不全を起こしている。
その導入の責任が一度も問われることもなく、
何もかもうやむやにして今回もまた闇に葬り去られるのでは、
いつまでたっても進歩がない。
成果主義を勧めた人も、あるいはその導入を進めた人も、詭弁をろうするのをやめ、
誤りを素直に認めるべきである。

 私がこの本で主張していることは簡単なことである。
日本型の人事システムの本質は、給料で報いるシステムではなく、
次の仕準の内容で報いるシステムだということである。
仕事の内容がそのまま動機づけにつながって機能してきたのであり、
それは内発的動機づけの理論からすると最も自然なモデルでもあった。
他方、日本企業の賃金制度は、動機づけのためというよりは、
生活費を保障する視点から賃金カーブが設計されてきた。
この両輪が日本の橙済成長を支えてきたのである。
「賃金による動機づけ」という呪縛から抜け出してしまえば、
本当のことが見えてくる。
今からでも遅くはない。
従業員の生活を守り、従業員の働きに対しては仕事の内容と面白さで報いるような
人事システムを復活・再構築すべきである。
それは「日本型年功制」の究極の姿でもある。